本物のピラティスを学びたい方へ贈る【ピラティスの歴史・真髄・哲学】

カテゴリー: ピラティスコラム / Lolita's Legacyピラティスへの想い

2018.03.23

何をもって、ピラティスというのか

何をもって、ピラティスというのか。

皆さんは、クラシカルピラティスとか、コンテンポラリーピラティスという言葉を聞いたことはありますか?

一般的には、クラシカルとはジョー(ジョセフ・ピラティス)の時代のものをそのままやっていて、コンテンポラリーとは、時代に合わせて変化・進化させたものと、と解釈されているようです。

 

実は、私はこの言葉にとても大きな違和感を感じています。

 

なぜ違和感を感じるのか。
それは、ピラティスは単に「形」としてあるものではないからです。

 

ジョセフ・ピラティスが定義したピラティスとは、「ボディ・マインド・スピリットの統合」です。ピラティス氏がつくったものですから、ピラティス氏本人が定義したもの、それこそがピラティスです。

 

でも、「ボディ・マインド・スピリットの統合」って、どんなものだかわかりますか?これが非常に次元の高いもので、わかりにくい。とっても、悩ましいですよね。感じたくても感じれない、または、「自分は果たして感じられてるの?」なんて疑問に思ってしまいます。

数日後、数週間後、数ヶ月後、数年後、、、に達成できるようなものではなさそうなことだけは、なんだかわかる。そして、難しそうだけど、確かに存在しているモノ・コトなんだろうなということも、自分の頭を超えた何処かで知っている。こんな感じではないでしょうか。

 

そんな崇高なレベルのことを、誰もが「入りやすい入り口」としたのが、エクササイズの部分です。

 

ですから、時代が変わり、人の体が変われば、エクササイズの形そのものは変化し、進化していくべきでしょうし、そうあることが自然でしょう。世の中に、人の体も、マインドも、自然も、細胞一つをとっても、変わらないものなんて、一つもないのですから。

 

しかし。

私たちの体の細胞は毎日生まれ変わっていても、人間は人間のままですよね。例えば私が海外滞在中に海外のものを食べて、それが体の中に入り細胞が生まれ変わっても、「日本人の櫻井淳子」のままです。

 

植物にあげる水の源水が変わっても、それがチューリップからひまわりに変わることはありません。

 

ちょっと極端な例えですが、でも、考えてみて欲しいのです。

 

ピラティスを、「ピラティス」としているモノとは、一体なんなのか。

 

それは、とても深いところにある、創始者・ジョセフ・ピラティスの想い、哲学なのです。ピラティスをやっているのかいないのかは、この「想い」「哲学」を引き継いでいるかどうかの一点に過ぎないと思うのです。

 

形は変わるものです。

しかし、その本質・根源は、永遠と変わらないものである。

 

これが、私がこれまで本当にがむしゃらに取り組み続けて来た結果、見つけた答えです。

 

フィットネスとしてのピラティスが悪いという話ではありません。後から形を変えて別の形で誕生したフィットネスとしてのピラティスと、そもそもの哲学としてのピラティスの、二つの存在がありながらも、(目に見えないからこそ)その存在が認識されていないことで曖昧さが生まれ、いろんな複雑な矛盾や混乱が生じているのだと感じています。

 

そして、自分は何を選ぶか、ということです。
選びたい方を選べが良いのです。
皆、趣味嗜好が違うので、自分がやりたいことをやるのが一番です。

 

ジョセフ・ピラティスを紐解き、感じていくと、「本当の真意、哲学、想いがあり、その結果としてあるものが、ピラティスメソッド」です。

 

だから、この先もエクササイズの部分は、時代とともに、そして人の生活と体が変わるとともに、変化していくでしょう。

 

その時代の流れの中で、どれだけの人が、想像以上に深い哲学に、気がつけるのか。言葉ではなく「鳥肌が立つような感覚」で、あるとき頭が割られるような衝撃とともに、気がつけるかどうかだと思っています。

 

それには、ジョーがよく言っていた、「ローマは1日にしてならず」。

 

繰り返しになりますが、ピラティスは、非常に深いものです。
私も今、長年走り続けて、ようやく片足を突っ込み始めて、「もっともっと、想像以上に素晴らしいものなんだ」という気づきを得た程度です。

 

一緒に、本物のピラティスを深めていく仲間に、出会いたい。夢と期待で、胸が高鳴ります。